『敗者たちの想像力 脚本家 山田太一』

 
 社会にはいくつものアリーナ(闘技場)がレイヤーになって折り重なっており、そのそれぞれにおいて優勝劣敗を決する価値闘争が日々繰り広げられているとしても、そして、あるアリーナで負けても、別のアリーナでは優位を誇れることが可能であるという「地位の非一貫性」といったような、それ自体を豊穣化する成分がこの社会には無数にがちりばめられていようとも、そのようなこととは全く関係なく、やはり自分は「敗者」であるだろう。何についての「敗者」かと問いただされると、たちまち言葉に窮してしまうとしても、それでもやはりただただ「敗者」であると思う。
 「敗者」であるとの自覚は、もう傷つきたくないというための心的防衛の態度ではない。そうやって身構えていても、何重にもわたる敗北の契機が、この社会のいたるところに伏在しているのだから。
 そしてこの「敗者」であることはまた、「勝者」という泥人形を勝手にこしらえて、それを羨望し、それに怨嗟を抱くという態度とも違う。むしろ、華やかな舞台の上で脚光を浴びているような人たちにも、「思うままにならない悔しい思い」を感じ取ることなのだと、著者は言う。山田太一のドラマ群は、そのような視座に貫かれている。それが著者の主張だ。
 「いいか、君たちは弱いんだ。それを忘れるな」(『男たちの旅路』)という言葉を、僕は大切にしていきたい。何重にも負けたとしても、この言葉がある。「人生の勝者であるために、ここで負け試合に挑んでもいい」といった口当たりの良い教訓ではない。永遠に「敗者」であることを大事にしたい。そう思わせてくれる本。

敗者たちの想像力――脚本家 山田太一

敗者たちの想像力――脚本家 山田太一