私に会うまでの1600キロ⭐️⭐️⭐️

私はどれだけの距離を、一日で、日が沈み切らないうちに歩けるのだろうか。
そもそも、二足歩行動物である人間の体力を図る基礎的な指標(それこそゲームの「HP」のようなもの)の一つには、どれだけの距離歩行できるか、というものがあるはずではないか。それなのに、今の時代を生きる私には、自分がいったいどれだけの距離を歩けるのか、想像もつかない。
そんな時代に、この映画の主人公のシェリル(リース・ウィザースプーン)は、西海岸を南北に縦断する自然歩道パシフィック・クレスト・トレイル、約1600キロの道のりを踏破したという。

彼女が長く過酷な旅に出た理由は何か。

旅の道すがら、飢えや渇き、驟雨や暗闇の恐怖がシェリルを襲うたび、記憶がフラッシュバックとなって蘇ってくる。打ち寄せる記憶のなかに、彼女が旅に出た理由、そのヒントがある。

シェリルにとって何よりも母の存在は大きかった、と記憶は語る。
夫に暴力を振るわれた挙句離婚、女手一つでシェリルと弟を育てることになったが、どうしても貧しさはついてまわった。しかしいつも陽気で、鼻歌を歌いながら家事をこなし、自分もまた幼子であるように二人の子と戯れ、父の不在や貧しさが、子供たちの心に暗い影を落とすことがないよう、どこまでも心を砕いた。

大学生になったシェリル。彼女の通うキャンパスには、仕事の合間を縫って勉学に励む母の姿もあった。やっとやっと、過去の呪縛から解放されて、母はこれから好きなことができるだろう。シェリルはそう思った。そのためだったら、「母」であることさえ忘れてくれてもいいとも思った。けれどもそうはしなかった。母はいつまでも母のままだった。
そんな母に対し、「母はもっと自分のためだけの時間を大事にしたほうがいい。」「誰かのためだけに生きていて、自分の人生を全うしていない。」「確かに不運続きだったけれど、母自身にもそれを招いた原因はある。」などと、シェリルは考えていたように映る。

そんな頃、母の体が重い病魔に冒されていることが発覚した。今まで苦労ばかりしてきて、やっとここにきて子供たちは独り立ちの歳になり、自分のために大学に通学する時間的、金銭的余裕もでてきた、その矢先にである。なぜ、このタイミングで、母は病床に臥さなければならないのか。そんな世界の不条理に対する呪いがシェリルを蝕んでいく。結局、あっけなく母は逝ってしまう。シェリルと弟の生活は、簡単に、そして早々に荒んでいった。

その後、シェリルが堕ちたセックス・アンド・ドラッグの日々は、道徳的に自らを毀損する自傷行為の様相を呈していた。リストカットなどは「心の痛み」を「身体の痛み」にすり替えて、心の苦痛を解消する側面があると言えよう。他方でシェリルの「道徳的自傷行為」は、もともと彼女が抱えていた「心の痛み」を、別の(反道徳的な)行いに起因する痛みにすり替える性質のものだったのではないか、と思う。では、もともと彼女が抱えていた心の痛みとはどのようなものだったか。

母の愛に一番浴していながら、誰かの幸せをそのまま自分の幸せとする母のような女にはなりたくないと考えていたこと/生きるため、子供を育てるため、そのための時間に人生の大半を費やさざるを得ず、結果、教養と呼べるものが欠如していた母を、心のどこかで嗤っていたこと/アル中、DV夫とうまくいかず離婚し、今貧しい生活を強いられているのも、結局は自己責任ではないか、と貧しい生活への恨みががましさも相俟って意地悪く考えてしまっていたこと・・・

こういった母に対する感情、そしてそれらと切っても切れない、渾然一体となった罪責感や負債感。そういうものが、シェリルの心の痛みとして、厳として、存在したのではないか、と思う。

そんな日々からなんとか這い出し、シェリルはこの旅に出た。もっとも、クソ溜めめいた日々から抜け出すには、同じくらいに強度がありながら、ただただ美しくて、真っさらで、清浄な環境のなかに身を置かなくてはならない。

旅の途上で、母や、母と暮らした自身の半生を見つめ直し、最終的にシェリルは一つの答えを得た。長い時間をかけて、ゆっくりと砂漠の中を歩く。ただ歩く。そういう荒治療によって。

シェリルのなかで、最後には、母の生は「中断を余儀なくされた哀れな生」とは全く違った意味を持つものになったはずである。それゆえに、その旅は、振り返ってみると、<母になること>への通過儀礼でもあったかのように見える。ラストのナレーションはそれゆえに、あのように語り切られなければならなかったのだ。が、いかんせん、少し駆け足過ぎだったようだが。