ជម្រាបសួរ។ (チョムリアップ・スーオ=クメール語で「こんにちは」)!

 身体を一定時間非日常のなかに「拘束」すること。そして新しい欲望が芽生えるのをゆっくりと待つこと。これこそが旅の目的であり、別に目的地にある「情報」などなんでもいい。
 「ツーリズム」(観光)の語源は、宗教における聖地巡礼(ツアー)ですが、そもそも巡礼者は目的地になにがあるかすべて事前に知っている。にもかかわらず、時間をかけて目的地を回るその道中で、じっくりものを考え、思考を深めることができる。観光=巡礼はその時間を確保するためにある。旅先で新しい情報に出会う必要はありません。出会うべきは新しい欲望なのです。
 いまや情報そのものは希少財ではない。世界はたいていの場所について、写真や記録映像でほとんどわかってしまう。にもかかわらず旅をするのは、その「わかってしまった情報」に対して、あらためて感情でタグ付けするためです。いまや海外旅行なんて必要ない、グーグルストリートビューで写真を見れば十分じゃないかというひとは、このことを見落としています。
 情報はいくらでも複製できるけど、時間は複製できない。欲望も複製できない。情報が無限にストック可能で、世界中どこからでもアクセスできるようになったいま、複製不可能なものは旅しかないのです。」(東浩紀『弱いつながり〜検索ワードを探す旅』、p84~86.)