雑感

 いわゆる「被災地」に住んでいると、震災関連のTV番組をみることが多いのだが、番組をみていて、漠然とした違和感を感じることが多いので、その違和感について、散り散りになるが、書いてみる。

 今から僕が書くことについて、素直じゃないとか、被災者の心に寄り添っていない、とか批判する向きもあるだろう。ただ、どうしてもよくわからないことが多い。

 ある番組では、震災から3年以上経過し、震災経験が風化しているという状況判断のもと、「風化に抗って、震災経験をちゃんと語り継がなくては」という趣旨で、震災経験を継承していくうえで有効な「<語り>のフォーム」について、被災地の市民、被災者どうしによる話し合いが行われていた。「<語り>のフォーム」という言葉は僕なりの解釈だ。

 つまり、そこではフォーム=形式について意見が交わされているものの、何を語り伝えるべきなのかという「<語り>のコンテンツ」については、私見にはどこまでも曖昧なままなのだ。これは、震災経験の伝承を云々するときの一般的な傾向なのだろうか、それとも僕のものわかりが悪いだけなのか。

 ただ、震災の風化に歯止めをかけるためには、例えば、震災語り部の話を聴き、多くの人が間接的に被災体験を追体験することが有効であると、多くの人が信じているようだった。

 語り部とは一体、なにを伝える人のことなのか。被災体験? そこにある教訓? 恐怖体験? カタストロフィ? それらの渾然一体のもの?
 
 いまいちよくわからないので、ここで僕は、風化を食い止めるというその<語り>の機能とされているものからの逆算して、<語り>の内容を同定してみようとする。

 そもそもどういう状態を、震災経験が風化した状態と呼ぶのか? テレビでは、こう説明される。

 東日本大震災地震の直後、車に乗って高台に逃げる人が多く、結果渋滞が発生し、足止めされたまま波に呑まれてしまった人がたくさんいた。それにもかかわらず、震災からまだそれほど日も経っていない頃に再度比較的大きな地震があって、津波警報まで出されたことがあったが、その時にもまだ、車で逃げる人がいた(「信じられない!」)。このことは、震災(経験)の風化が進んでいる証左である、云々。
 
 そうすると、震災経験を伝承するとか、語り継ぐこととは、それを聞いたひとに、まずは、車で逃げるな、ということを説得的に教え諭すことが期待されている。けれども、それだけではない。語り部が伝えようとしていることはもっといろいろある。もっとごちゃごちゃしている。そしてもっとごちゃごちゃしていていい。

 語り部だけじゃない。伝承や語り継ぐためのフォームはいろいろある。例えば石碑。

 明治三陸津波の際の教訓を銘した石碑が、路傍の石も同然として、忘れ去られ、集落のはずれにぽつねんとあった。みんな気にも止めなかった。そんな折、突然に大震災が起こった。恐ろしい濁流が集落を襲った。振り返ってみれば、祖先は、ここは津波にまた襲われることがあるだろうから、子孫に対して、遠い過去から、注意しなさい、と警告を発してくれていた、その教えを石碑として遺してくれていた。それなのに、それをすっかり忘れ気にもしなかった。このことに深い悔恨の念を禁じ得ない、というメンタリティがある。

 当然ながら、石碑に刻まれた警句に眼を向けなかったことと、車に乗って逃げようとすることは、同じ心の習慣である、というのは、少し乱暴すぎる。

 ここでの問題は、というか掬い上げなくてはならないのは、石碑の存在を忘れてしまっていたという、過去と現在のディスコミュニケーションそれ自体ではないか。それにまつわるある種のやり切れなさの感覚ではないか。
 
 とにかく、いろいろなものが語り継がれようとしている。いろいろ、本当にいろいろごちゃごちゃしたものが。でも、これをある程度整理していかなくてはならないのではないかと思うし、変な道徳的判断から検閲みたいなことをすべきではない。

 例えば、地震の際、車で避難しないように人を誘導するための、きわめて有効な社会工学や社会運動の方法みたいなものは、教訓化された語り等の周辺、教育装置等とは別のところで達成できるのではないか。もっと非人間的に、非教育的に。だから、そこはもっと割り切って考えなくてはならないものがいろいろある。誰かが溜飲を下げるためだけの教育談義は止めたほうがいい。そしてもっとポップでいい。

 ちょっと継続的に考えていきたい。といっても、いつもここに、このテーマで文章を書く、というわけではない。
 
 ただ、いろいろわからない。震災遺構という言葉も、ちっともわけがわからない。わからないことだらけだ。そして例のごとく、ただそれだけがわかる。