※多少のネタばれ

  • 『ママ男』

 壇上で成功に不可欠なポジティブ・シンキングの作法を如才ない語り口で聴衆に伝授している彼。彼はいわゆる「自己啓発のカリスマ」。「アメリカンドリームに醒めそうになったら僕の話を聴くといい」という一種の加熱装置。しかし、そんな彼にもつらすぎる過去がある。それを乗り越えるために身に付けた鎧は堅牢で、聴衆に向けられているかに見える言葉は、むしろ自己暗示の一種のようだ。
 そんな彼に「偉そうに講釈を垂れる人間は信用ならない」と若造が噛みつく。「お前の言う処世術は結局このクソったれの社会に適用しろっていうことだろう!?」という怒気を身体中から発散している。「目を醒ませよ」と世界に向かって呟く彼は、どうしようもなく幼稚で社会性がなく、他人の気持ちがちっとも分からないクソガキ。
 この両者の「運命の出会い」について、現代アメリカ映画は繰り返し、というか強迫神経症的に描いてきた。なぜか? 理由は簡単。みんながこの種の葛藤を抱えているからだ。
 『ママ男』もこの類の映画なのだが、キラリと光っているのはやはりヒロインのノラだ。彼女は大企業を批判する歌を場末のバーで歌いながら、歌手になることを夢見ている。彼女はセンスはゼロなのだが――「私は企業社会に縛られた女。時代遅れかもしれないけれど、こんな世界はもうウンザリ」などというドストレートすぎる歌詞でおもしろい――母親のフィアンセである自己啓発男のマートの過去を暴いて、2人を別れさせようとし、結局家を追い出された若造のジェフリーに対し、「私は自分の夢を追うわ。あきらめない。お母さんも同じよ」と迷いがない。彼女こそがアメリカンドリームの体現者か? 違う。彼女は経済的成功など求めていない。彼女が求めているのは、どこまでの無垢で裸のままのドリームだ。衝動だ。「アメリカンドリームに疲れたの? それなら別の、ほんとうの夢を見ればいいわ」と囁くようだ。
だから、幾分か成長したように見えるジェフリーが、モリッシーの「アメリカ・イズ・ノット・ザ・ワールド」をラジカセで大音量で流しながらノラの乗る(州を出ようとしている?)バスを待ち伏せしているシーンは感動的だ。

アメリカよお前の頭はでかすぎる
アメリカよそれはお前の胃がでかすぎるから
そしてぼくはお前を愛している

(略)

ぼくにはお前に与えられるようなものがない
この真実の想い以外には何もない
だけどお前はそんなものは要らないという

自分の耳で聞いてくれ、自分の心で理解してくれ
おねがいだ
だって、ぼくはお前を愛しているんだよ

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