最近読んだ本は、明らかにある種の傾向を示していると思う。それはマッド・サイエンティストだ!!(笑)


 ・メアリー・シェリー『フランケンシュタイン
 ・ロバート・ルイス・スティーヴンソン『ジキル博士とハイド氏
 ・H・G・ウェルズ『モロー博士の島』
 
 このなかで特にメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』はとても面白かった。フランケンシュタイン博士と怪物の2人のみがどうしても前景化しており、そのほかの人物描写がおざなりあるいはありきたりなものですまされている面はあるものの、主題はともかくフランケンシュタインと怪物なわけだから全然OK。フランケンシュタインと怪物は、両者とも自身の生ける不遇を長広舌で語る。その語りからは自己正当化とか自己憐憫とった「瘴気」がときより立ちこめる。しかしながら、2人の語り手は、聴き手がそれを感じ取るであろうことをすでに十分わかっていて、それをも取り込んで(君が反感を覚えることは十分わかっている、なぜなら私自身が自分に反感を覚えているからだ!という感じ)、自身の語りをドライヴさせていくのです。この小説の勘所はおそらくそういったところに如実に表れている Point of view(2人の語り手による出来事(の解釈)の複数性)とか「信頼できない語り手性」みたいなところにあるのではなくて、「現代のプロメテウス」という副題にあらわれているように、「創造物と被創造物」といった関係形式が、もつれにもつれ合って、じりじりと「生命の潰える土地」である北極へ、両者を駆動していくそのスタイルにあるのだと思います。素晴らしい。