ウォーリー [DVD]

ウォーリー [DVD]


 お正月休み中に見た映画はディズニーの『ウォーリー』だった。すこし前の映画だ。
 ウォーリーはWALL‐Eと表記されるのだけれど、それはWaste Allocation Load Lifter Earth-Class(ゴミ配置積載運搬機地球型)の略。AIで自我も備えたロボット。
 舞台は未来の地球(29世紀)。しかしそこには人間の姿はない。産業廃棄物にまみれた地球から巨大宇宙船アクシオムに一時避難中だからだ。ただし一時避難といってもその歳月は700年に及んでいるようだ。アクシオム内は一つの都市で、そこで暮らす人間たちにはもはやアース=土地の記憶がない。無痛文明人の彼らは極めてバーチャルな存在で、二足歩行も止めてしまって、安楽椅子型の浮遊移動装置に乗って活動している。
 一方、地球にはウォーリーやゴキブリのハルしか生息していないようだ。無数のゴミに覆われており、日に一度は巨大な砂嵐が吹き荒れる。オゾンホールはおそらくズタズタで、外来性の汚染物質に地表がさらされているのだろう。原子力自然エネルギーは稼働中なのか、ホログラムのような広告(立体映像ではない?)が、ウォーリーがそのそばを通りすぎるたびに起動する。
 ウォーリーは日中はゴミをキューブ状に圧縮してタワーのように積み上げるといった仕事を黙々とこなしている。仕事を終え寝床(量産型ロボットであるウォーリーたちの格納庫らしいが、もちろん主人公のウォーリーのみが活動中なので、彼のためだけの住処だ)にはさまざまなガシェッドがひしめいている。ごみ収集の過程で心の琴線に触れたモノを持ちかえりコレクションにしているのだ。(ウォーリーを地球で最後のセンチネルと見るなら、彼が守り抜いているのは、この格納庫のガシェッド空間、ポップで孤独な夢の空間なのだろう。)
 一通りその日の収集品を眺め終えた後、壁のあいだからTVスクリーンを引っ張り出し、お気に入りのミュージカル『ハロー・ドーリー!』を見て夢見心地になる。そんな日々の繰り返しのなか、映画の登場人物たちのように「だれか手をつなぐ」ことに心焦がすウォーリー。もちろんそのような他者は不在。そんな孤独なウォーリーのもとに、植物探査を使命としたロボット・イヴが現れる。
 
 この映画で面白いなと思うのは、まずもってディストピアとしての地球の描写。すごくいい。
 それにホログラムに映し出される移住した頃の大統領がそのまま巨大企業BNLのCEOといった設定のように、人間の経済活動すべてがBNLという単一の企業の営利活動に一元化されている世界になっているのがよい。具体的に言うとWALL-Eの製造元もBNL、彼が回収するゴミの多くにもBNLの刻印があり、さらには「ノアの方舟」宇宙船アクシオムもBNLによるものであるといった点だ。
 このBNLという企業の独占は、人間の(経済)生活が、媒介に次ぐ媒介をへて、意図せざる結果として地球環境の危機を招いた、という複雑な現実を吹き飛ばして、寓話としての世界観を非常に明確にしている。このリアリティの水準が(だって世界はもっと複雑に対立軸が張り巡らされているし、これほどの独占現象もありえないのだから)、「身勝手な人間たちに対するロボットたちの義憤」というスクエアなテーマを封殺している。意図的な世界の平板化。だから自らがこの世に出来した起源を消しさる「親殺しのテーマ」は不在。ディズニーだからね。