冷たい雨に撃て、約束の銃弾を [DVD]

冷たい雨に撃て、約束の銃弾を [DVD]

 いまさらだけれども、『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』を観た。ネタばれありご注意を。




 娘夫婦と孫2人が何者かによって惨殺(娘自身は重症)された仏人コステロは、その嫁ぎ先であるマカオを訪れ病床の娘に復讐を誓う。
 
 冒頭はその殺戮シーン。惨劇を一息で見せる編集がよい。妙に焦らさない。後から、より詳しい殺戮の過程が追想されるけれど、それを引き立てている。


 次のシーンでコステロを演じる仏人歌手兼俳優のジョニー・アリディマカオに降り立つ。

 サングラスを外した彼の碧眼は色素が薄すぎるのか光の加減によっては白濁しているように見えなくもない。それゆえに本当に見えているのだろうか、別のものが見えているのではないか、と思われる瞬間がある。とにかく、ただならぬ雰囲気を持った俳優だ。


 続いて、復讐を胸に宿泊先のホテルに戻ったコステロと、マカオで暗躍する殺し屋3人組(クワイ、チュウ、フェイロク)が出会う。それはクワイ達が、コステロと同じフロアの一室で情事に耽っている最中の男女をベッド上で撃ち殺し、廊下に出た瞬間であった(ちなみに、この男女、女の方が実力者である依頼主の情婦でありながら、その手下の男とデキていて、それに感づいた依頼主に2人まとめて殺されたというわけで、ことの次第が尾籠な話なだけに、男女の行為もやけに荒々しく誇張されている。そこがまたお約束で楽しい)。
 いっとき廊下で対峙するコステロクワイたち3人。おそらく双方、まとわりついた殺気に気づき、お互いに値踏みしているところ。結局、コステロが何事もなかったように踵を返し自室へ歩き出してたことで何事も起こらかった。


 後日コステロは、情婦殺しの容疑が晴れ警察署を後にするチュウを尾行、3人に再度会い、娘の復讐の手助けをするように依頼する。報酬は、手持ちの札すべてと時計、パリにある自分名義のレストランと自宅である。この好条件をクワイ達がのむ形で契約は成立。
 
 しかし、それにしてもコステロ、気前がいい。というか、自宅まで差し出すとはあまりに捨て身である。娘家族があのような目に遭ったのだから当然と言えば当然、なのか。だがやはり過剰な印象がぬぐえない。その答えは後に明らかになる。

 その後、コステロクワイ達は娘宅を襲った暗殺者を捜索し始める。そして彼らは、コステロの娘や孫らに直接手を下した実行犯と思われる3人組にたどり着く。その3人は普段は海鮮街というところで魚屋?を営んでいるが、裏稼業として殺しをしている様子。それぞれに妻子がおり、行楽地でバーベキューを楽しんでいる。そんな場面にクワイ達が向かう。子どもと遊びながらも、チラりとコステロクワイ達を見遣る3人。緊迫した場面。そのあと実行犯3人は妻子を先に帰し、その姿が見えなくなったタイミングで月夜の銃撃線が始まる。ここがまたよい。


 決着のつかなかった銃撃戦の後、その実行犯3人のボスがジョージ・ファンだということが判明する。この男はクワイ達にとってもボス(大口の依頼主であり、先のホテルでの男女の殺害の依頼主でもある。つまり最悪の相手)。それを知って驚愕したクワイ達だが「乗りかかった船だ」と実行犯3人を殺すことでジョージ・ファンを敵に回し、勝ち目のない戦いに挑むことを決意する……。


 とりあえず、ストーリーに沿った説明はこの辺までにしとこう。


 ところで、この映画の特筆すべき要素はコステロの記憶障害だろう。

 
 コステロはその佇まいが示す通りシェフになる前は殺し屋だった。その時に頭に被弾し脳に障害を負ったのだという。どうやらその古傷がコステロから徐々に記憶を奪っているらしい。
 クワイ達への気前の良さも、記憶が徐々に崩壊していくことからくる、捨て身の態度だったということが分かる。

 
 親しい人物の顔すらも忘れてしまうコステロ。最終的には「復讐」や娘との「約束」すらも忘却してしまう。物語終盤、その状態になったコステロは、クワイらから閑を出され海辺にあるビッグママ(クワイ達を叱りつける母性の象徴)のところに預けられる。復讐の依頼主に、無垢な赤子のように「復讐とは?」などと隣で妄言を吐かれたら、マカオの暗黒界を牛耳るジョージ・ファンに盾突いて引くには引けなくなっているクワイ達もたまらないだろう、どんなに気がそがれるだろう、と僕などは思ってしまうのだが、クワイ達の、記憶を失くし浜辺で子どもたちと戯れるコステロに向けるまなざしはむしろ慈しむようだ。話をふっかけてきておきながら、その初発の動機である復讐心を忘れた依頼主に対しても温かさを失わない。本作が「絆」と呼びうるものを描いているのならば、それはまさしくこのシーンに凝縮されているように思える。

 
 そんなクワイ達はコステロを残し、死を覚悟して敵陣に飛びこんでいく。この後の対決シーンも壮絶。


 最終的には、コステロが戦線復帰して香港の街中でジョージ・ファンを追い詰める。しかし、やはり記憶障害のコステロはどれが憎むべきジョージ・ファンなのかさえわからない。唯一の手掛かりは、ビッグママの子どもたちがコステロのためにファンの背広に貼った目印のシール。ファンも途中からそんな敵情に気づき、攪乱を仕掛けてくる。飛び交う銃弾の中でその駆け引きが行われるのだから、緊迫感が凄まじい。


 記憶をなくした男に復讐なんて意味があるのか? 


 パラノイアックであるべき復讐のヒーローが記憶を、それだけでなく情念すら失う。それゆえに、異邦人コステロの香港の街での足取り同様、この復讐譚は全く軽快とは言い難い。しかし、軽快さやカタルシスとは遠く離れたところで、復讐を完遂するこのコステロのたたずまいは、恐ろしく異様であることは間違いない。一体彼は復讐を成しえたのだろうか。